ボストン・テリアの歴史

History of Boston Terrier

pages

ボストン・テリアの歴史

ボストン・テリアの歴史(1)

History

その昔、闘う為の犬として作出されてきた犬種がいました。しかし、時代と共にその役割から免れていきます。ボストン・テリアが誕生していく過程には、そんな時代の背景があるのです。

アメリカを原産とする犬種は実に少なく、この犬種は3番目に古い犬種です。現在のボストン・テリアのスタイルになるまでにはかなりの年月と、ブリーダー達の努力が費やされてきました。1893年にAKCに認められ、ノン・スポーティング・グループに編入されました。いまから114年前になります。この犬種の基礎になった犬は、イングリッシュ・ブルドッグと、今は絶滅したイングリッシュ・ホワイトテリアを異種交配(アウト・クロッシング)させた基礎犬です。

ボストン・テリアの歴史(2)

History

この新犬種の作出にあたっては、1821年に発布された法律、動物虐待防止法が関与しています。当時、イギリス・ロンドンの鉄道荷物を運ぶ馬達が、余りにも酷使され無惨に死んでいくのを見かねて、荷馬車の馬を対象として発令された法律が、その後、他動物の虐待防止にも適用されるようになり、犬にまで及んだ訳です。

それは、牛と犬を闘わせる競技ブル・バイティング、他動物と複数の犬とを闘わせる見世物、犬同士の闘犬(ドッグ・ファイティング)や、定められた時間内に多くのネズミを殺すラッティングなど、伝統ある犬を使っての賭けを禁止する法律が発布(現在の動物愛護法の前身)され、これらのために伝統的にブリーディングされてきた犬達は、職を失い、衰退の一途をたどる羽目におち入り、犬種の絶滅も見られました。

ボストン・テリアの歴史(3)

History

種の保存の為には、家庭の伴侶動物にその性質を変更せざるを得なくなり、闘技犬としてブリードしてきたものを、家庭向きの犬に育種したり、他の犬種と交雑して新犬種として形を変えたりして、新しく生きる活路を見出しました。

この新しい試みの最たる例がボストン・テリアの作出です。1870年ボストン市在住の紳士ロバート・C・フーパー氏はイギリスから「ジャッジ」と呼ぶ、テリアとブルのMIXである雄犬を買いました。この犬はブルドッグ・タイプの体高の高い、体重14.5Kの濃いブリンドルで、白のブレーズ(鉢割れ模様)のハッキリした犬でした。

ボストン・テリアの歴史(4)

History

氏はこれを、マサチューセッツ居住のエドワード・バーネット氏所有のスクエア・タイプで小柄な雌犬に交配し、濃いブリンドルと美しいホワイト・マーキング、短い尾を持つ理想的な子供「ウェルズ・エフ号」を得ました。

この犬の人気は高く多くの雌犬達に交配され、また、強い遺伝力を示し、初期のタイプを作り上げました。

そして多くの愛好家の支持を得て、1889年に約30名のファンシャーにより、ボストン市に、アメリカン・ブルテリア・クラブの名称で愛好会が結成されました。

ボストン・テリアの歴史(5)

History

しかし、一部のファンシャーから白眼視され、色々な抵抗がありました。が、ついにAKCに公認されることになります。そしてますますファンシャーを増やし熱心な改良育種が行われることになり、比較的短時間に見事にブリードアップされていくのでした。

この育種過程の時期には、フレンチ・ブルドッグを利用したようです。

1900年以降は、一定量の同系交配を含めた慎重な選択繁殖と飼育によって、いくつかの血統が開発されることとなります。その結果、口吻のつまった、すっきりした頭部、ホワイト・マーキング、黒く穏やかな瞳のナイスボディのボストン・テリアとなったのです。